『朱もどろの海の彼方から──報告・琉球幻視行』

B5判 並製 100頁
装幀:近藤ちはる
編集:矢吹有鼓
発行:水族館劇場 2019年12月

■目次

桃山 邑 沖縄から世界へ。世界から沖縄へ。──移民、貧困、歴史。希望なき社会の希望
台本 陸奥の運玉義留(作演出 翠羅臼)
千代次 ボンヤリ沖縄行き
居原田 遥 冬のかんげーぐと
梅山いつき 来訪と放浪─さすらい姉妹の旅の夏
秋浜 立 沖縄報告(辺野古─高江─安部海岸─読谷村)──2016年暮れ
台本 海を越える蝶 GO! GO! チンボーラ~ 満月篇 弐の替わり(作演出 桃山邑)

■概要

水族館劇場は、「さすらい姉妹」興行として2019年「風車(かじまやー)の便り──戦場ぬ止み音楽祭2019」へ参加し、5月に東京上野で、七月には沖縄で『陸奥(みちのおく)の運玉義留(んたまぎるー)』(作演出 翠羅臼)を上演した。10月、沖縄というテーマを引き継いで、水族館劇場座長の桃山邑によって新たな台本「GO! GO! チンボーラ」が書かれ、東京世田谷の太子堂八幡神社で奉納芝居として上演された。
 本書は、二つの台本(★)を収録するとともに、沖縄公演から、沖縄をめぐる新たな芝居上演にいたる記録として編んだものである。
 
『陸奥の運玉義留』(作演出 翠羅臼)★
 「風車の便り──戦場ぬ止み音楽祭2019」参加
  東京 上野 水上音楽堂 5月31日
  沖縄 辺野古 キャンプシュワブゲート前テント 7月12日
     那覇 新都心公園 天幕渋さ 特設ステージ 7月13日
 「赤い森の彼方へ──沖縄のアンダーグラウンド」(水族館劇場主催)
  東京 新大久保EARTHDOM 7月5日
『GO! GO! チンボーラ~ 満月篇』(作演出 桃山邑)
  東京 三軒茶屋 太子堂八幡神社境内 例祭奉納芝居 10月13日
『海を越える蝶 GO! GO! チンボーラ~ 満月篇 弐の替わり』(作演出 桃山邑)★
  東京 新大久保EARTHDOM 12月13日

■ご案内
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『報告・凍りつく世界と対峙する藝能の在り処』

B5判 並製 108頁
監修:桃山邑
校正:原口勇希
デザイン・編集:近藤ちはる
発行:水族館劇場 2020年12月

■目次

はじめに
桃山邑 黙示録の時代に
菅孝行 <無頼の演劇>への応援歌
瓜生純子
「乾船渠 八號」ポスター
淺野雅英 続ける
宮地健太郎 いまあらためて
楠瀬咲琴 糸の重み
小林直樹 当事者性という炎
沼沢善一郎 芝居を観ているわけではない
鈴木亜美 私と「乾船渠八號」
近藤道彦 月並みだけど、感じたこと
津田三朗 「誰も触れてはならぬ」
原口勇希 野戰攻城2020日録―2020年2月14日~8月12日DRYDOCK NO.8 乾船渠八號以後の上演記録
二見彰 コロナ禍の世界で立ち止まらないということ
伊藤裕作 水族館劇場 2020 年春 花園神社 野戰攻城 歌日記 ならず者、われら破落戸<コロ憑き>ならず
千葉大二郎〈硬軟〉 雨傘の骨
ミズカンナ コロナによる自粛要請と監 視社会、それでも公演中止を望まず役者降板しなかった理由
宮崎シュト 2020年4月の矛盾の記録
藤中悦子 そう遠くはない未来に
杉原克彦 SEVEN DAYS WAR ♪を聴きながら
西表カナタ あるべき未来
田邊茂男 沢山考えました
田中哲 経済テロの特効薬
赫十牙 お寒うございます お暑うございます
風兄宇内 乾船渠八號 DRY DOCK No.8 2020 年新宿花園神社 特設野外儛臺
七ツ森左門 動きつづける
松林彩 本当にやったらいけなかったのかなあ
臼井星絢 2020 野戰攻城 乾船渠八號で思っていたこと
石井理加 制作覚え書き
秋浜立 街からひとがいなくなっても
千代次 叛・自粛
村田卓 「延期」「中止」の雪崩れ。最後に花園だけが残った
椎野礼仁 千代に八千代に千代次!
梅山いつき 歩きながら考えたこと― ―身体のわずらわしさとこれからの劇場
毛利嘉孝 新たなパンデミックの時代に
資料・乾船渠八號

■はじめに

この春の野戰攻城「乾船渠八號 DRY DOCK NO.8」公演不能の事態を承けて、水族館劇場としての倫理と責任をずっと考 えつづけて来ました。芝居興行が持つ可能性としての「開き」が逆に災いし、わたくしたちは公演を断念せざるを得ませんでした。

全面中止にいたるまでのあいだ、たくさんの方々から激励はもちろんのことお叱りに近いご忠告もいただきま した。一月からの台本稽古、三重合宿、仮設小屋建設。幾度も引き返す関所を視野に討議しながら、それでも二一名の役者は最後まで劇場とともに在る道を撰びました。

世の中の混乱が、どれほどちいさな役者徒党に圧力となってのしかかろうと、冷静に情況の推移をみつめ、参画役者ひとりひとりの温度差も考慮し、一方的な決定の押し付けは避けたつもりです。途中、地方在住の役者に本隊のほうから合流断念を要請したのは、未成の観客との黙契を果たすという決意性で開幕の継続を強制したくなかったからです。とうぜんのことですが集団内部にも個々の事情があります。みずからの疾患と長く付き合わなければならない者、老齢の肉親とともに暮らす者。否、わたくしたち自身が世間からみれば高齢者集団に映るでしょう。けれども神社側からの強い撤退勧告が出されるまで、興行を自粛することは考えませんでした。中止以降も わたくしたちは神社に居残り、野戰攻城を続けました。同時に個々の環境、考えの違いから公演に臨む態度に正反対の距離が生じたことも事実です。

ふたつの態度を別けたものはなにか。イデオロギーでもなく、現実理解の深度でもないとし たら。わたくしたちはいまだにこの距離を重く受け止め、頭をかかえながら前に進もうと思っています。そのために何を為すべきか。羽鳥書店の協力ではじまったパンフレットはこの百年、誰も経験したことのなかった感染パンデミックに振り回されながら、首都の片隅で野営した藝能集団が感じたことを声として後に残すために編まれました。

いちばん撰んではならない道は、病原菌をめぐる解釈と態度に違いがうまれたとしても、それを規準としないこと。分断を招来する過ちこそ、芝居者として生き続ける意思が遠ざけなければならない敗北であると身に染み込ませること。

ですから本文は、一 枚岩の強固なメッセージでつらぬかれているわけではありません。依頼した書き手全員にお願いしたのは、それぞれの立場で自由な思いを述べて欲しいということだけでした。複数の角度からの検証こそが、未来をきり拓く鍵になると信じて、 ささやかな言葉の花束をお届けします。

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盜賊たちのるなぱあく

横浜寿町にひと夏かぎりの るなぱあく開幕!

この街をみよ! 時代の波にあらがい、歯をくいしばって生きてきた、俺たちの寿町を!
そして会期中、水族館劇場役者陣は全員で未完成をめざし、廢園をつくりつづける。
つくりつづけることそのものを見世物芝居として観客にひらいてゆく。
──巨大廢園の路地──

ヨコハマトリエンナーレ2017に、「ヨコハマプログラム」の一環として、水族館劇場が芝居公演+巨大廢園「盗賊たちのるなぱあく」をもって参加。芝居は、三年越しの連作「もうひとつの この丗のような夢 寿町最終未完成版」。

アウトオブトリエンナーレ《盜賊たちのるなぱあく》

会期 | 2017年8月3日[木]─ 9月17日[日]

もうひとつの この丗のような夢 ​寿町最終未完成版

公演日|2017年9月1日[金]─ 5日[火]/ 13日[水]─ 17日[日]

会場 寿町総合労働福祉会館 建替え予定地(横浜寿町労働センター跡地)

水族館劇場 ヨコハマトリエンナーレ2017 ヨコハマプログラム特設サイト
http://www.suizokukangekijou-yokohama2017.com/


POSTER

近藤ちはるデザイン もうひとつの この丗のような夢 ​寿町最終未完成版 ポスター

創造都市横浜・インタビュー
「僕らが芝居をやる理由」水族館劇場・桃山邑が語る表現の源

https://yokohama-sozokaiwai.jp/person/16352.html

日本有数の寄せ場といわれる寿町での公演が間もなくスタートする水族館劇場。座付き作者の桃山邑は、日雇い労働をしながら1980年に曲馬舘という演劇運動の流れにある劇団に入り、以降、芝居と建設現場での仕事を続けてきた人物だ。「自前でテント建てるのも芝居」と言い切る桃山が語る、独自の芝居論からは、表現することの根源が見えてくる。実際に水族館劇場の公演を目にする前に、いま一歩、大文字の歴史に押し込められない「敗者の精神史」を試みる彼らの思想に近づいてみたい。


もうひとつの この丗のような夢 ​寿町最終未完成版 前芝居



水族館劇場 ヨコハマトリエンナーレ2017 劇場空撮

撮影編集 中野渡昌平

web DICE骰子の眼 掲載
横浜寿町ど真ん中の空地に廃園が出現!劇団・水族館劇場の巨大テント劇場に行って見た!

http://www.webdice.jp/dice/detail/5472/


FLYER

デザイン:近藤ちはる
デザイン:近藤ちはる

じゃ、ごろつきと呼ぶんだね。ふたたび。

2020年4月「乾船渠八號」の公演の際に配布予定だった機関紙FISHBONEに掲載された桃山邑の原稿「じゃ、ごろつきと呼ぶんだね。ふたたび。」をお届けします。


 今宵は2020野戰攻城「月への砲彈」へようこそ。といつものように書き出してはみたものの、喫緊の社会情勢を鑑みれば、のんびり芝居見物どころではありますまい。それでも水族館劇場の旗のもとにお集まりいただいた皆さま、ほんとうに感謝しております。ありがとう。わたくしたちが公演を取りやめる唯一の可能性がある、神社側からの撤退要請ですが、この原稿を執筆している現在は、まだありません。予断を許されない状況は今後ますます厳しくなっていくでしょう。だからこそわたくしたちは藝能のちからを信じて、自粛をかんがえませんでした。なんとかやらせてあげたいという宮司さまのご厚情にこたえるためにも不眠不休で、はじめに台本ありきの世界を拵えたのです。ご堪能ください。開催にあたり、行政側よりさまざまな条件が付与されました。観客のみなさまにはご不自由をおかけしますが、なにとぞ木戸の指示にしたがってくださいませ。わたくしたちは興業として成立しないこの舞台すら天の配剤ととらえます。いつもの満員、スシ詰め状態を回避できるのですから。すべてはハイデガーのいう放下。人智ではどうにもならないこと。毛利教授の論攷にもあるように、誰ひとり経験したことのない、この事態と真摯に向き合うには、敵対し、殲滅するのではなく共存してゆく方向を探るのが最もゆたかな場所に抜けだす道だと思えるのです。 

 わたくしには十年ほどまえの福島原発暴走の時のことが思い出されます。事故直後、首都圏で暮らすひとびとはみずからの生活基盤がどれほど地方によりかかったものか、そしてそれがいかほど危ういか身にしみたはずです。震災直後、オールジャパンという言葉がもてはやされ、都市生活者たちはエネルギー使用の見直しを声たかだかに唱えました。無駄な享楽は不要。もっとつつましやかな時代に戻らなければ。東京電力の無責任姿勢とともに日常が戻ると、ひとびとは再び利便性を保証してくれる立場を撰んだと思います。わたくし自身も例にもれません。咳をしても噂が走る人間関係のしがらみに縛られない都会の自由な暮らしを望んで鄙を離れたのですから。その自由はなにかと引き換えである覚悟だけはしていたつもりです。そのことのツケを他人の不幸に押し付け、知らぬ存ぜぬの頬被りができなかっただけです。

 原発事故の反省は不発に終わったけれど、にんげんの悲しみや苦しみが、いま持たざる者へ降り下ろされる鉄槌への抵抗の原基となって世直しがおこなわなければ、ほんとうのまことの道をみつけたことにはならないはずです。

 この数年のあいだに、たいせつなひとびとを何人かなくしました。わたくし自身も矢尽き鎧破れた落武者のような状態ですが、弔いのなかから浚渫される思い出を遅ればせながら書きとめて置きたいと思います。

 昨年、わたくしは翠羅臼さんの呼びかけに呼応するように、それまで縁のなかった沖縄の地に降り立ちました。その契機は愛知県岡崎市に拠点をもっていた劇団白髪小僧のリーダー、なかせいしろうさんの不慮の死に端を発します。なかさんはわたくしにとって、同じ日雇い労働者として、劇団のリーダーとして、常に意識していた存在でした。最初の出会いはご多分に漏れずうまくいきませんでした。白髪小僧東京遠征のときわたくしが所属していた劇団の稽古場を仮の宿に提供したものの、つまらぬ誤解から公演後のうちあげの席で大立ち回り。互いにしこりが残り、仲直りのきっかけは数年後。白髪小僧を迎え入れた当時の劇団は消滅し、わたくしはあたらしい仲間とともに水族館劇場をたちあげました。大八車をころがし、筑豊地帯を巡っていたときでした。遠賀川のほとりに粗末な仮の宿をとったへっぽこ役者三人組は河原に巨大な天幕劇場を発見したのです。近づいてみるとなかさんが退屈そうに木戸で午睡のまっさいちゅう。いがみあった過去の確執も遠賀川の水に流したのでした。つぎはわたくしが甘えました。東京に無事帰還した何も持たないちいさな劇団は天幕劇場を拵え、千代次とならぶ女優に名花、阿木暦さんを指名したのです。発足当時役者の足りなかった弱小劇団の座長は雪吹雪くなか、薔薇の花束をもって岡崎にむかったことを鮮明に覚えています。躊躇する阿木さんに、なかさんは「助けてやれよ」と後押ししてくれました。次はわたくしがなかさんのたくらみに嵌められました。白髪小僧最後の旅芝居となった「RAISE」の韓国公演に別の芝居を企画、台本作者にわたくしを指名してきたのです。わたくしなどより彼を慕っていた芝居者がいたので一度はお断りしたのですが「おまえじゃなきゃ駄目」ときつく言い含められました。騙されたようなものですが、だまされて良かったと思います。芝居はいまだ硝煙(催涙弾の水平打ち)の残る解放記念日(八月十五日)に玉音放送を流すという過激なものでした。なんのために韓国に来てこんな芝居を上演するのか。韓国側スタッフからも、仲間うちからもたくさんの疑問をぶつけられました。わたくしにはひとつの想いがありました。この切通しにも似た迷路をくぐらなければ、どんなつもりで社会の外に打ち捨てられたひとびとの物語を書けるのか。そのことを、なかせいしろうさんは理解してくれていたように思います。

 筑豊炭坑のルポルタージュ作家、上野英信さんの言葉「坑夫自身が坑夫の言葉で文学をきりひらけ」。なかさんにしみじみ諭されたことがあります。「寄せ場に関わる芝居者はいるけれど、職人として日雇いしながらものを書いているのは結局俺とおまえだけだなぁ」。型破りの芸風とは全く違う、生真面目なプロレタリア文学を信じている風情に、襟をただしたこともあります。井上光晴、野間宏、中野重治。その領域だけではありません。天幕劇場のあらくれは萩原朔太郎を愛するデカダンの詩人でもあったのです。晩年は絵描きとして気侭にカンバスにむかい、芝居は封じ込めていました。でもどんなことをしていても、彼はわたくしにとって、端倪すべからざる芝居者でした。持って生まれた資質と違う生を歩いても、ただまっすぐに、来るべき世界を看取する、すぐれた先達だったのです。いまでも阿木さんに託した彼の最高の台詞を諳んじられます。「お見世できるものは何もありません」。

 なかさんに誘われた韓国公演のヒロインはふたりいました。ひとりはわたくしのなかでいまだに女子高生にしかみえない(因縁ある東京遠征のときは正真正銘女子高生だった)浪野千鳥さん。浪野さんはずいぶん後にも、さすらい姉妹の千代次の相方として最高の演戯をみせてくれました。もうひとりは今回わたくしのたっての願いで十数年ぶりに役者復帰してもらうミズカンナさん。白髪小僧、劇団どくんごとの混成旅団を組み、韓国にむかいましたが余りいい思いでの無いなかで、彼女と南大門をさまよった記憶がよみがえります。わたくしは(おそらく)なかせいしろうに指導されたであろう、彼女の立ち姿が大好きでした。その出自から別の天幕劇団にいきたかったみたいですが、白髪小僧の女優でいてくれてありがとう、と掛け値無しで思っています。もうひとり、いまは袂を分かちましたが水族館劇場黄金世代のひとりだった杉浦康博くんもなかさんの教え子のひとりです。彼の経歴に関してはわたくしの配慮のなさからなかさんや阿木さんに辛いおもいをさせてしまい、お叱りをいただいた際、バラシの最中だったのですが岡崎に謝罪しに出向きました。門前払いも覚悟していましたが、ふたりともこころよく水に流してくれました。

 さて、訃報を受けて、なかさんの葬儀に参列した翠さんは、生前のいろんな思い出を越えて、沖縄での芝居に転進しようと決意したに違いありません。半年くらい違うだけの同じ時期にこの世を去った、仲の良かった火田詮子さんと違って、なかせいしろうさんは無名のままこの世を去りました。そのことの意味はわたくしにとって、このうえなく重い。いってみれば、世界との不和。認知されないという栄光と苦悩。彼の芝居はそのはざまで、一瞬の閃光を放っていたと信じています。わたくしにとって、それはかけがえのない存在。今後どんなに水族館劇場が観客の拍手につつまれても忘れてはならない覚書。

 わたくしは既に還暦を越え、棺桶に片足いれた亡霊のようなものですが、それでも失いたくない矜恃があります。なかさんをはじめ、曲馬舘を率いていた翠さんや桜井大造さん。大阪の犯罪友の会の武田一度さん。多くの先輩に叱咤されながら野外芝居の荊道を歩いてきました。わたくしより年若い、あらたな感性をもつ若者とも出会ってきました。それでも。先行世代を乗り越えながら、後続世代に乗り越えられることは断固拒否したいと思っています。過去の者になりたくないから、ただいま現在の芝居のアクチュアリティーを身につけるための折角は惜しまない。今宵の芝居はそんな無鉄砲なわたくしに共感してくれた、年若い友人、乾緑郎さんによる夢の旅です。いつも勝手は違うかもしれませんが、どうぞごゆるりと。

(ももやま ゆう/水族館劇場座長)


2020年4月の水族館劇場の本公演「乾船渠八號」は、花園神社側からの要請により中止となりました。