水の通信&グッズ完成!

水族館劇場のアクチュアルな機関誌fishboneの74号が齋藤基正のデザイン、藤本正平の写真を装い完成!総勢16名もの執筆者という空前のヴォリュームです。入場時に配布されますのでご覧ください。

またアーティスト千葉大二郎が昨年作成した「水族館劇画」が、今回特製ステッカー&ポストカードに変成して登場、なんと新作描き下ろし含みます!こちら木戸にてお求めください。ほかにも様々な水族館劇場関連書籍やCDも販売予定。この機会にぜひお手にとってみてください。

撮影©DJ.YOU

ようこそ!天飈の鹿砦へ。

宗禅寺で催されたリアルてらこやに参加したこどもたちが野外儛臺を訪れ、稽古を見学した。突如あらわれた筍に質問が集中するなか、するどい指摘も。なぜこの場所で芝居をするのか。じぶんたちの手でつくるのはなぜなのか。芸濃町での公演が地域劇団の発足を促したように、この野営が遠くない未来なにかに実をむすぶことをひそかに希いながら、果てもない道中はつづく。

FISHBONEonline_06が更新されました。2021年、流浪堂で開催された「アントロポセンの空舟」関連企画パンフレットです。桃山は芝居とは違った風景を音楽に見ていたのかも知れません。ご一読ください。→https://suizokukangekijou.com/fishbone_online/2022_05/

これで見納め、桃山マジック!

2004 さすらい姉妹「無知の涙」「忠治旅日記」宝塚・大林寺二本立て公演

なにごとにも訣かれはやって来る。それが突然か、緩慢かの違いだけだ。

35年の長きにわたり桃山は水族館劇場を現代河原者の徒党ととらえ、先頭にたって牽引してきた。台本を書き、演出をしかけ、サーカス一座のように全国に神出鬼没の仮設小屋を建ててきた。われわれの副司令官はイメージとうらはらに精神はフラジャイルそのものだった。

花が散るのをみても涙ぐみ動物園につれていっても怖がる幼子だったという。文弱、長じて屈強。若き日に強い影響を受けたという竹中労そっくりだ、野戰攻城のような力業は本来、苦手だったのかもしれない。繊細な気質を表にださず、台本を仕上げることより現場で声を嗄らしていた姿からみても、無理を重ねていることは明らかだった。とくに分裂騒ぎが起こってからの8年は、公演地さがし、制作、劇場設計、資材交渉、仮設工事、作・演出、舞台設計、衣裳、音楽、あらゆる面でリーダーを引き受けながら芝居をつづけた。なにより集団論(仲間とともに在るとはどういうことか)の根拠をつねに問いかけつづけた。座付き作者としての使命を全うし、みずから書きたい題材よりも集まってくる役者ひとりひとりの個性をいちばんに考え、当て書きの手法を貫いた。つぎの棟梁、秋浜立が育つまで歯をくいしばって復活のためのハードワークに耐えた。結果、身体が修復不可能になってしまった。

本人は「そろそろ地上から去る終い支度をしなければならないね」と呑気に笑ってる。桃山の滅尽すなわち水族館の消滅と短絡しないでいただきたい。水族館劇場は桃山と心中しない。かたちを変え、こころを別の身体に宿してあらたな獣道を歩いてゆく。現代河原者の役者徒党は彼の意思を継いで生き延びる。未発表の台本も机の奥に睡っている。水族館劇場と桃山の仕事を愛してくれたサポーターが残っている。

水族館劇場を応援してくれた全国のみなさま。どんな窮地でもひるむことなく可能性をひらいてきた桃山マジックは、今回が見納めです。万難を排してのご観劇、なにとぞよろしくお頼み申しあげまする。

水族館劇場副司令官・桃山邑、これにて退散仕る②補遺

工藤正市は津軽のブリューゲルって勝手に呼んでる。飯場にはいったときからまわりの職人はみんな津軽の出稼ぎだったからさ、格別おもいがあるのかなぁ?何度も遊びにいってるし。永山則夫が処刑された夏、板柳の長屋にもいったなぁ。朽ちかけてたけど、まだ取り壊されてなかったよ。

——みんな東北ですね

川田喜久治は北関東だよ。俺ん家のほう。やっぱり西のほうには近づきたくないのかもしれないね。「地図」のオリジナルは数十万するから手が出ない。月曜社という人文系の出版社がキチンと復刻してくれたんで買っちゃった。

——森山大道とかどうなんでしょう?

あんまりよくわかんない。なんか時代の文脈ごと透けて見えちゃうような部分があるだろ。そこがいいのかもしれないけど、ちょっときついな。ぜんぜん脈絡ないけど、志村けんの芸がダメなんだよ。ものすごい緻密に笑いを組み立てて稽古重ねるような底がみえたとたん、こっちが苦しくなるんだ。いい加減が一番かな。

工藤正市 新町通り(富士屋デパート前)

川田喜久治「地図」復刻 2005 月曜社

鬼海弘雄 野外写真展  人間の海2022

鬼海弘雄「東京ポートレイト」より

「王たちの肖像」にみる度外れな世間のひとへの優しくするどい観察眼。「INDIA」にはじまる異国の旅への哀惜。鬼海弘雄はたくさんの写真によるギフトをぼくたちに残して地上を去っていきました。水族館劇場に遺品として託された巨大肖像パネルを生かすために、今回みたびこれらの作品を天幕のあちこちに飾ります。かぎりなく撮られる側によりそった写真師のまなざしに囲まれた野戰攻城はきっと一味ちがう希望を観るかたがたに届けてくれることと信じています。題して「人間の海2022」遠からぬ日に彼と再会するであろう桃山なら「これもふくめて芝居」とうそぶくでしょう。野外儛臺「天颷の鹿砦」開催日にあわせて午後4時よりオープンいたします。今回の野戰攻城は5年前の「盜賊たちのるなぱあく」の再現のごとし。昨年、開演まで手持ちぶさたの時間をすごしたお客さま、今年は時間が足りないくらいのイベントを用意しました。羽村みやげにゼヒご高覧を。

会期:芝居上演日&6/2 16:00〜
料金:無料

鬼海弘雄(きかい・ひろお)
1945年、山形県生まれ。主な作品集に『王たちの肖像 浅草寺境内』『INDIA』『東京迷路』『PERSONA』など。エッセイも手がけた。2020年に逝去。

19㊍20㊎21㊏22㊐公演延期のお知らせ!

水族館劇場から重要なお知らせです。「出雲阿國航海記」の第一週の4日間の公演の延期を発表いたします。
これはパンデミックの影響ではありません。すでにweb上で発表してきた、桃山の健康状態の悪化によるものです。強力な痛み止めで台本を書き続けていますが、徐々に副作用が出てきました。げんざい一日6〜8時間ほどしか起きていることができず、残りは疲れで寝てしまっている状態です。いままで外圧以外の理由で延期したことはなかったわたしたちですが、今回は副司令官みずからの判断です。覚醒状態(台本を執筆可能)でいるときは、問題なく書き進めていますが、初日まで残された時間をかんがえると無理をしないという選択以外はありません。万が一発作が再発すれば、それこそジ・エンド。公演自体を中止せざるを得なくなります。それは明日にでも起こり得る事態です。最悪の結果を避けるためにも、どうぞご理解のほどを。

なお、振り替え日は6月9㊍10㊎11㊏12㊐の4日間です。5月27㊎初日。28㊏29㊐30㊊31㊋6/1㊌ 3㊎4㊏5㊐ 9㊍10㊎11㊏12㊐ の全13公演となります。

なにかが空を飛んでいる!

日々増殖する舞台美術と同時進行して棟梁・秋浜立は空中にあらゆる仕掛けを施していく。つねに危険がともなう作業だが演じる役者みずからが建て込むことによってリスクをいちはやく察知する、きわめて合理的だ。それにしても今年は去年よりも空中戦多し!横田基地から飛び立つ軍用機の轟音を間近に聞きながら、野戰攻城という名の印地を投擲する。劇場の外にも変化が。齋藤基正デザインのポスターも到着。桃山時代の絢爛さをモチーフとしたその輝きはぜひ実物をみてご確認を!劇場脇には古本遊戯流浪堂主催の「流浪する古書展」、千葉大二郎野外展「HASSUISM- 野戰攻城編」が出現。こちらは芝居上演日に午後4 時から開場予定。入場無料。あわせてお楽しみに!

特別イベント「Back To/Think About 1972 これまで/これからの沖縄について」

2019年の「さすらい姉妹」辺野古・那覇公演より、重要なテーマとして浮上してきた琉球の島々。様々な要素が錯綜する今芝居でも沖縄は物語世界の1つの軸になるでしょう。本年度5月は復帰50年を迎える節目です。沖縄で育ち、今年の野戰攻城の役者でもある、西表カナタ(居原田遥)が企画した特別イベントが、公演日である5月28日に開催されます。

Back To/Think About 1972 これまで/これからの沖縄について

―― 2022年は、沖縄県が本土復帰50周年を迎える年です。戦争を終え、またその後の困難の中で迎えた1972年5月15日。あれから半世紀の月日が経ちました。当時と変わってしまったこと、変わらないもの。あるいは変わるべきでありながらも、現在のかたちにあること。戦争の記憶と継承、いまだに向き合わねばならない基地問題やそれらに対する県内/外の民意のあり方。今、その狭間には、世代も場所も、あらゆる人が立っています。この節目の年に、水族館劇場の野外儛臺の場所を提供してくださった宗禅寺をお借りし、少しお話しする機会を設けたいと思いました。

2019年の県民投票の開催に代表として取り組み、その後も「2.24 音楽祭」として沖縄社会のあり方を考え続ける元山仁士郎さん、 また2019年にさすらい姉妹沖縄公演の企画を立て「陸奥の運玉義留」の作・演出を手がけた翠羅臼さんを交えてお話をします。公演に併せて是非いらしてください ―― 西表カナタa.k.a居原田遥

※この会には、参加者の皆さんともお話がしたいと思っています。お気軽にご参加ください。

上映+座談会「Back To/Think About 1972 これまで/これからの沖縄について」

・日時: 5月28日(土)午後2時~3時半
・会場: 宗禅寺(https://www.hamura-souzenji.com 水族館劇場・野外儛臺となり)
・参加費:無料(投げ銭)
・予約制:先着60名。

事前予約フォームにご登録ください。事前予約フォーム(https://forms.gle/gS29jkj1b24uG7o39
※当日確認も受け付けます。屋内開催であり感染症対策のため、人数制限させてもらいます。希望者はお気軽にご相談ください。

問い合わせ: ihaharu.info@gmail.com(居原田)080 2117 6154 (水族館劇場)

■スケジュール
午後2時-2時半 さすらい姉妹「陸奥の運玉義留」(2019年、作演出・ 翠羅臼)・沖縄公演 ダイジェストビデオ上映。
午後2時半~3時半 座談会「Back To/Think About 1972 これまで/これからの沖縄について」

■参加者
翠羅臼(劇作家)、元山仁士郎(「辺野古」県民投票の会元代表、一橋大学大学大学院法学研究科博士課程)、西表カナタa.k.a居原田遥(キュレーター、東京藝術大学大学院博士後期課程)他。

元山仁士郎(もとやま・じんしろう)
1991年、沖縄県宜野湾市生まれ。特定秘密保護法に反対する学生有志の会の活動やSEALDs発足などに取り組み、2019年には辺野古の米軍新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問うため、「辺野古」県民投票の会の代表となり、県民投票の開催に取り組む。5市が投票参加を拒否した際はハンガーストライキで参加を訴えた。また県民投票の開催を機に、「2.24音楽祭」を開催。現在は一橋大学大学大学院法学研究科博士課程在籍。

出航へむけてキックオフ!

宗禅寺の粋なはからいで、関係者を集めての上棟式が催された。まだまだ建て込みがつづく、否、終わりなく作られつづける野外儛臺だがここでいったんひと区切り、あらためて狼煙をあげようと企図された。正俊閑栖住職曰く「30年近く前から文化をこの地にもたらそうとしてきた。水族館劇場があたらしいつながりを広げていってくれています」。宗禅寺の意気に呼応して、その後の本堂での稽古も白熱。再スタートを切るまたとない機会となった。開幕まであと2週間。あらゆる荒波を乗り越えて進む船の行く末にご注目あれ!

水族館劇場副司令官・桃山邑、これにて退散仕る③

2017寿町公演「盜賊たちのるなぱあく」建込み

桃山特別インタビュー   聞き手 七ッ森左門

――こんにちわ。七ッ森左門といいます。

知ってるよ。入団13年目だろ。おまえ、どうでもいい自己紹介で原稿の字数稼ぐなよ。邪悪だな。

――すみません。今回は水族館劇場の長い歴史のなかでのいくつかのエピソードをお話しいただければ。

おまえの失敗の記憶しか思い出せないよ。

――そんなこと云わずに。それ以外をなんとか面白おかしく。たとえば旗揚げ当時の大八車の旅のこととか。

最初は歩いても歩いても公演場所がみつからず、途方にくれたなぁ。

――受け手はいなかったんですか?

津田君(特殊造形担当の準メンバー)と理和ちゃん(驪團時代からの、桃山のサポーター)が博多にいて最終公演を企画してくれたけど、それは筑豊地帯を巡演してきて無事に凱旋したときのご褒美。水上公園というところでやったんだよ。噴水にガソリン仕掛けて炎を立てて爆弾三勇士の話しにしたもんだから、その後二度と使えなくなった。

――ひどいですね。

おまえに云われたくないよ。

――炭鉱地帯をまわっていたときの受け手は?

そんなのいない。いきあたりばったりだもの。八木山峠を荷車ころがしてたろ。何度もダンプに轢かれそうになった。運転手は唖然としていたよ。時代錯誤もはなはだしい。町に降りたら山村工作隊と間違われたりして。でも最後は杉山さんという、鉱夫あがりの親分が親身に世話してくれた。旅役者から忠隈炭鉱に居ついた公民館長を紹介してくれたり。数年後、飯塚にテント芝居もっていった時は出世したと喜んでくれて町の人たち全員観に来てくれた。千人近かったから、テントに入りきれない。サイドのシート全部落として外からも観てもらったよ。

――仁義をわきまえた親分だったんですね。副司令官もそれに応えた。美談ですね。

よせ。おまえが解説すると大事な思い出が色褪せちゃうから。

――ではそもそもの始まり、大八車での炭住めぐりのエピソードに戻しましょう。

水非常(坑道落盤)が起きた場所で公演した時のこと、生き埋めにされた坑夫たちへの鎮魂のつもりで情宣してなかったから誰も観に来ない。あたりはまっくら。近くを旅公演してた風の旅団(現・野戦の月)の大造さん(曲馬舘時代の先輩、桜井大造)が駆けつけてくれて、車のライトで芝居を照らしてくれた。見てくれは強面だけど、意外と優しいんだよ。昔、金がなかった時も何度もご飯たべさせてもらった。

――苦労したんですね。

おまえに云われたくないよ。

――普段の寝泊まりは?

無人駅とか橋の下だよ。中間(谷川雁のサークル村があった)って町に着いたとき、雨がざんざん降ってきてさ、町内会館のひとが見るに見かねて雨宿りさせてくれたんだ。

――昭和の終わり頃はまだ人情が残っていたんですね。

ところが二日たっても三日たっても止んでくれない。だんだん気まずくなってね。こっそり夜中に逃げ出した。

――ずぶ濡れじゃないですか。

乞食稼業って意識が強かったんだろうな。いまの奴らは恵まれているよ。現場に家まで用意してもらって。

――そうやって炭住から炭住へ歩き通したんですね。

最初はどうやっても、幕を張れる場所をみつけられなくて右往左往した。

――誰も観てないんだし、こっそり東京に帰ろうと思わなかったんですか。

おまえだったら巡演したって捏造して逃げ帰ったかもな。凱旋のフリをして。

――そうです。そうです。

そうしなかったのは、きっと楽しかったんだろうな。何の見返りも期待せずにその日の芝居のことだけ考えてたんだ。秋の空が清々しかったなぁ。

――限界芸術としての大衆の原像を観ていたんですね。

そういう物言いしかできないからおまえは寿町のおっちゃんに嘗められるんだ。

――そうかもしれません。それから東京にもどってテント劇をはじめ、アングラ色を排除、徐々に独自な藝能論を確立していきましたね。それは同時に拡大路線を進めてゆくことになる。

最初はテント、ちっちゃかった。客も集められていなかった頃に、千代次の知り合いが竹本信弘(滝田修)さんを連れてきてくれたんだよ。デッチ上げで5年の刑を喰らい、出所したばかりでさ。あなたがたの芝居はけなげだって云ってくれたのを覚えている。ちょっと嬉しかったな。いま、羽村に来て昔の気持ちを取り戻せたような気がするよ。ここなら動員とか算盤はじくこともない。時間をかけて自由にできる。

――過ぎ去りし日々へのノスタルジーですか?

馬鹿。未来をみているんだよ。水族館劇場の。俺はもういなくなるの。

――35年間、お疲れさまでした。ククク。

邪悪な笑みだなぁ。そんなにおまえを叱るやつが消えるの、うれしいか。

――めっそうもない。これからも存分に𠮟り飛ばしてください。慣れっこにならないように。

とうてい信用ならないね。

――長い歳月振り返ってみて、最後に一言どうですか。

大笑い。35年の馬鹿騒ぎ。

――「仁義の墓場」ですね。ではお名残惜しいですがこのへんで。台本早くあげてください。