2004 さすらい姉妹「無知の涙」「忠治旅日記」宝塚・大林寺二本立て公演
なにごとにも訣かれはやって来る。それが突然か、緩慢かの違いだけだ。
35年の長きにわたり桃山は水族館劇場を現代河原者の徒党ととらえ、先頭にたって牽引してきた。台本を書き、演出をしかけ、サーカス一座のように全国に神出鬼没の仮設小屋を建ててきた。われわれの副司令官はイメージとうらはらに精神はフラジャイルそのものだった。
花が散るのをみても涙ぐみ動物園につれていっても怖がる幼子だったという。文弱、長じて屈強。若き日に強い影響を受けたという竹中労そっくりだ、野戰攻城のような力業は本来、苦手だったのかもしれない。繊細な気質を表にださず、台本を仕上げることより現場で声を嗄らしていた姿からみても、無理を重ねていることは明らかだった。とくに分裂騒ぎが起こってからの8年は、公演地さがし、制作、劇場設計、資材交渉、仮設工事、作・演出、舞台設計、衣裳、音楽、あらゆる面でリーダーを引き受けながら芝居をつづけた。なにより集団論(仲間とともに在るとはどういうことか)の根拠をつねに問いかけつづけた。座付き作者としての使命を全うし、みずから書きたい題材よりも集まってくる役者ひとりひとりの個性をいちばんに考え、当て書きの手法を貫いた。つぎの棟梁、秋浜立が育つまで歯をくいしばって復活のためのハードワークに耐えた。結果、身体が修復不可能になってしまった。
本人は「そろそろ地上から去る終い支度をしなければならないね」と呑気に笑ってる。桃山の滅尽すなわち水族館の消滅と短絡しないでいただきたい。水族館劇場は桃山と心中しない。かたちを変え、こころを別の身体に宿してあらたな獣道を歩いてゆく。現代河原者の役者徒党は彼の意思を継いで生き延びる。未発表の台本も机の奥に睡っている。水族館劇場と桃山の仕事を愛してくれたサポーターが残っている。
水族館劇場を応援してくれた全国のみなさま。どんな窮地でもひるむことなく可能性をひらいてきた桃山マジックは、今回が見納めです。万難を排してのご観劇、なにとぞよろしくお頼み申しあげまする。